苦しみたい

苦しみたい、いや、苦しんでいる所を人に見せたい、と言った方が正確かもしれない。

ただ、苦しみの原因が何でもいいかと言うとそうでもない。何か、高尚な原因によって苦しみたいのだ。

思うに、苦しむところを他人に見せたいとして、その願いを叶える一番分かりやすい(≠実現しやすい)方法が、病気にかかることだ。

ただ、病気で苦しむにしても、怠惰な生活をしていることが原因で罹った病気で苦しむならそれはダメである。本人は別に何もダメなことをしてないのに、運命のいたずらによって0.001%とかのとてつもなく低い確率を引き当ててしまって、体に病を宿す、これならOKだ。

 

戦いたい。戦っているところを人に見せたい。正しい側に立ちたい。正しい考えを持って、世間の偏見と戦いたい。ただ、勝ってはいけない。負けるのでなければならない。正しすぎるが故に負ける。そういう戦いをしたい。

 

高い能力を持っているけれども、それと引き換えに、日常生活を円滑に営むための基礎的な生活能力が欠如している人というのに憧れる。

ずば抜けて得意な事もあるけれども、多くの人にとっては何ともないことを、苦手にしていたり恐れたりする人間に憧れる。

 

何かを迷惑に思いたい。ただ、何でもいいわけでは当然ない。お隣さんがうるさいとか言うのではだめだ。

はたからみれば羨ましがられることを迷惑に思っている、そういうところを他人に見せたい。

 

自分が劣っていることが原因で苦しんでいるのは、ただ哀れなだけだ。自分が優れていることが原因で苦しみたい。

そういう心理状態に至るのはなぜだろうか。考えていても答えが出ない。ただ、思えば小学生のころから、ぼんやりと抱いていた感情の様に思う。