年を取りたくない

中公文庫日本の歴史シリーズ『江戸開府』を読み終えたので、次巻の『元禄時代』へ移った。

 

夕方には、先週注文しておいたメガネを受け取ってきた。で、それをかけたままパソコンに向かって記事を書いている。

今まで使っていたものよりも度数を下げたので、パソコンでの作業はしやすくなった。スマホも前より見やすい。本を開いて読んでみても、目にかかる負担は軽くなった気がする。

遠くは若干見えにくくはなったが、気になるほどではない。いずれ慣れるだろうと思えるレベル。

ブルーライトカット仕様には今回はしなかった。詳しいことは分からないのだが、効果がないとかツイッターで数年前に見た気がする。

 

年をとったらさらに視力が落ちるんだろうか。まあ、それは眼鏡を新しく作れば対応できるとして、目から入ってきた情報を脳が処理するスピードが落ちてくるのはどうしようもなくないか。

それで、文字を読むのが億劫になったり、文字が見えても言葉として入ってこなくなったりしたら怖い。しかも気付かない内にそうなっていきそうで怖い。もしかしたら今も少しずつ、そうなっていってる最中かもしれない。

そういう危機感に囚われるのは、やはりうちの両親を見ている時だ。うちの両親も、夕食中にテレビを見ているときに、どこかの観光地の映像が映った途端に「え、ここどこ!?」とか言う。画面の左上にどこの映像かちゃんとテロップが表示されていて、それを見ればすぐに分かるのに、だ。

まあ、それは、視覚情報を脳が処理するのが遅くなっているからというより、思ったことを口に出さずにはいられなくなってくるからなのかもしれない。

いずれにせよ、あまりカッコいいことではない。