映画「音響ハウス Melody-Go-Round」を見た

8月6日正午からBSフジで放送されたドキュメンタリー映画「音響ハウス Melody-Go-Round」を見た。音楽スタジオ「音響ハウス」に勤めていた職員さんたちや、そこで数々の名曲名盤を世に送り出してきたミュージシャンやエンジニアへのインタビューと、この映画の主題歌「Melody-Go-Round」が実際にそこで制作される場面の映像が交互に織り交ぜられた形でこの映画は進む。

そもそも、この映画を見た目的は、ドラムを演奏する高橋幸宏さんの姿を見るためだった。

今年の1月に亡くなった高橋幸宏さんの音楽を最近よく聞いていて、関連書籍も集めているところだったので、自分にとっては非常に都合のよいタイミングだった。

この映画自体を知ったのは確か去年だった。主題歌の「Melody-Go-Round」は、高橋幸宏さんのドラムを目当てに聴き始めたら、メロディや他の楽器パートの演奏も素晴らしくてハマってしまい、家や運転中でもよく聴いていた。

この映画「音響ハウス」が撮影されたのは2019年とのこと。幸宏さんがご病気になるほんの少しだけ前に撮られた映像のようだ。

映画本編の最初の音は、ドラムの音だった。「Melody-Go-Round」のメイキング映像を見ても分かるけれども、幸宏さんのドラムの音は、聞いてすぐに幸宏さんの音だと分かる。それだけ個性的な音だ。ドラムの一音一音の迫力というか、キレがすごい。

リズムセクション、ブラスセクション、葉加瀬太郎さんのバイオリンのパートの録音ときて、いよいよHANAさんのボーカルとなる。当時彼女はまだ13歳で、レコーディング中もかなり緊張しているのが画面越しでも伝わってくる。というか、大貫妙子さんのディレクションで歌うってメチャクチャ緊張するだろうな。学園ものとかに出てきそうな厳しい音楽の先生みたいな感じだった。でも、大貫さんの指示でどんどんHANAさんの歌がよくなっていくのが分かった。

いよいよ大詰めとなった時に、これまでのインタビューで出演してきたミュージシャンたちがもう一度出てきて「良い音とは何か」について語る。おそらく各インタビューの最後に「あなたにとって良い音とは何ですか」という感じの質問があったのだろう。まあ、かなり曖昧というか、悪く言えば投げやりな質問なんだろうけど、そのぶん回答者の個性が出る質問ということなんだろうか。その中でも印象に残ったのは、エンジニアの飯尾さんの答え。「何がしたいのか明確な音」と答えていた。エンジニアというと、自分としては何となく、細かい音質にばかりこだわっている人というイメージがあったけれども(というか、本人も回答の途中でそういうことを言っていた)、それは間違いだったようだ。

そして最後に、出来上がった「Melody-Go-Round」が、各パートのレコーディング風景と共に流れて映画は終わる。何度も聴いてきた曲だけれども、制作風景やインタビュー映像を見てからだと、ブワーっと鳥肌が立って自分の感情をより深く揺さぶられる感じがした。

ただ、今回この映画に出演したミュージシャンの皆さんの中には、作品をあまり聴いたことのない方も多いので、またここから色々と調べて聴いてみたい。

 

 

 

「足立の花火」の思い出

今日、足立の花火が4年ぶりに開催された。といっても、私は生で見たわけではない。YouTubeの配信で見た。ウェザーニュースYouTubeチャンネルで、スタジオ内にいる檜山沙耶さん、駒木結衣さんと一緒に、花火の中継を見る配信だった。

その配信では、二人がたこ焼きやガリガリ君を食べながら仲良く喋っていた。笑いの絶えない、こちらまで笑顔になってしまうような配信だった。

足立の花火には、思い入れがある。東京に住んでいた頃に一度だけ見に行ったことがあるのだ。今から7年前、そして東京に私が住み始めて2年目の、2016年のことだった。

せっかく東京に来たのだから、何か季節のイベントに行ってみたいという思いがあった。東京なんだからきっと夏のイベントも大規模でかつ風情のあるものだろうとなんとなく思い込んで、スマホで検索して狙いを定めた。そして足立の花火の情報を見つけて、行くことに決めたのである。東京とは言っても多摩地区に住んでいたので足立までは遠いのだが、その行き帰りも楽しむつもりでその日を待っていたと思う。

当日は、夕方前から時間に余裕を持って出かけた。秋葉原あたりから電車内が身動きの取れないほどに混雑し始めた。最終的にどこの駅で降りたかは覚えていない。そこから、人ごみの流れに乗って、屋台が並ぶ道を川べりまで歩いて行った。途中で何か食べる物を買った気がするが何だったかは忘れた。

土手の空いている場所に腰を下ろす。目の前にはスカイツリーがあった。花火が始まるまでにはまだ時間がある。買ってきた物を食べ終えてしまうと、ウォークマンで音楽を聞きながら時間を潰した。確かその時は私立恵比寿中学にハマっていて、そのアルバムを聴いていたと思う。

時間になり花火を見る。打ち上げが始まる前にアナウンスがあった気がする。花火を、文字通り腰を据えてある程度まとまった時間に見たことはそれまで何年もなかったと思う(そして、それから今に至るまでもない)。もう十分見たなと感じてもまだ花火大会は途中、というその感覚が嬉しかった。

花火の打ち上げが終わると、そこから帰路に就く。帰りは日暮里・舎人ライナーの駅に向けて歩いて行った。その頃になると、川べりということもあってか、夜風が肌寒く感じられる時間になっていた。その時私は長袖で薄めの生地のデニムシャツを着ていて、ちょうどいいと感じた。

その年、私は春から同じデニムシャツをずっと着続けていて、7月になってもなぜか半袖のTシャツの上に着て外出していた。当然暑いのだが、なぜかやめられなかった。その日家から出るときも、夜はきっと肌寒いだろうからちょうどいいのだと自分に言い聞かせるようにして着たと思う。結果としてはよかった。

駅までは数十分歩いた気がする。疲れてくるし、手がベタベタしていたのが気になっていたと思う。なんとか駅に着いて車両に乗り込んだところまでは覚えているが、そこから先、どうやって家に着いたかまでは覚えていない。

地声のASMR動画が増えてほしい

主旨はタイトルの通り。それ以上付け足すことはない。

YouTubeで「ASMR」と検索し再生してみても、出てくるのは抑揚のないささやき声でしゃべっている動画である。まったく癒されない。ゾワゾワしない。

地声でしゃべってほしい。声帯を震わせてしゃべってほしい。ささやき声じゃなくて。そこに時々ささやき声を混ぜてほしい。

話は変わるけれども、ASMRと自分の付き合いについて少し。自分の思い出せる限りで最初のASMR体験は、小学1年生の頃だったと思う。当時50歳くらいの、クラス担任とはまた別の女性の先生が、授業中に私の隣に来て、担任の先生の指示を聞き逃したか理解できなかったかで困っている私を助けてくれたときのことだった。

私の左側にその先生がかがみ、目線を下げて話しかけてきた。ボリュームを最小限に抑えた感じの地声で、ささやき声ではなかった。

その時、首の後ろから耳にかけてのあたりがゾワゾワして、鉛筆を持った右手からも力が抜けるという、未体験の感覚を味わった。その先生に話しかけられた時は、きまってそういう感覚になった。

優しい先生だったし、私はその先生のことが好きだったが、2年生に上がるころには、別の学校へ異動になったと思う。

ASMR動画に出会ったのはそれから何年も経った2017年の序盤あたりだったと思う。小学1年生の時に体験したあのゾワゾワがASMRだというのも、その時に知った。

その頃ハマっていたASMR動画はLatteさんの動画だった。ハングルの読み方を教える授業、という体の動画だった。


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基本は小さな地声でしゃべっていて、ささやき声でも時折しゃべる。ただ、その時はマイクに口を近づけているのでゾワゾワ感が増す。小声の中にもメリハリがあって、聞いていて飽きることがない。今もたまに聞く。

最近はmarikoさんのASMR動画をよく見ている。marikoさんも、基本は地声でしゃべっているのだが、その声質がとにかく優しい。子音の発音もきれいで、その癒し効果も高いと思う。ノイズもほとんどなく、声に集中できる。


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今は、ASMR動画として投稿されたものではないがASMR体験を得られる動画、というものも気になる。BGMなしでまとまった時間しゃべり続けているものであればそれでその可能性は高い。ただ、そういう動画は探すのが難しそうではある。

 

 

 

永久に遊べるパズル「脳ブロック」をやってみた

「脳ブロック」というものを買ってみた。「永久に遊べるパズル」とのこと。

プラスチックのケースに、形の違うピースが隙間なく嵌っており、それを全て出してからまた嵌め直すというもの。正解パターンがもっとも易しいレベル1でも700通り以上あって、「永久に遊べる」というのも決して誇張ではない。

レベルは5つあって、ピースの色もレベルごとに異なる。そもそも手に取ったきっかけが、パズルだったからというより、5種類(5色)並んだ様子が壮観でつい惹かれてしまったからだ。

今回はレベル2を買った。レベル4が、自分の好きな緑色を基調としたものだったので買おうと思ったが、難しくてお手上げになってしまっては困るので断念した。レベル3はケースが六角形で、これもまた難しそうだし、ピースの色が赤に近いピンク色であまり好きになれそうにない。

そこでもうひとつレベルを下げたレベル2「ペントミノ」を選んだ。ケースの形はシンプルな長方形で、ピースはきれいな青色だ。正解パターンは2339通りらしい。

帰宅して早速開封した。パッケージには、「ピースを取り出してケースに戻す たったそれだけが、メチャクチャ難しい」と書いてある。

「適当に並べてたらすぐに全部嵌るんじゃないのか」と思ってやってみたらこれがなかなか難しい。「お、できたか?」と思うと、最後の1ピースがうまく嵌らずに余ってしまう。一度使ってしまったピースと同じ形のものがもう1個あれば揃うのに……という状況も何度か発生し、これがなかなかもどかしい。

そういう時は、その空きスペースと同じ形のピースを、一度置いた場所から取って嵌める。それで、その周辺のピースを一旦外してまた嵌め直してみる。できそうになければ全ピースを外してゼロから再チャレンジ。こういう作業を30分くらい繰り返すことになった。「メチャクチャ難しい」というのもあながちウソではなかった。

左は本体。棒状のピースだけ入りきらない。右はパッケージ。

こうしてガチャガチャとピースをいじっていたある時、ぴったりと嵌った。「お、今回はできそうだな」という気配もしなかった。いきなりピタッと嵌ってびっくりした。

人によってはもっとスマートに解くのかもしれない。しかし、ひたすら手を動かして試行錯誤を重ねていれば、正解パターンのどれか一つにいつかはたどり着ける。今回はそういう方針で解くことになったが、できた時は快感だった。

完成したパズルを改めて見てみる。ケースは6×10の60マスで、ピースはそれぞれ5マス分。ピースの形は全部違う。まっすぐな棒も一本ある。テトリスみたいに、これを最後に残しておいて完成させることができたら別格の気持ちよさだろう。

そして何より正解パターンが2339通りもあるというのがすごい。本当によくできたパズルだ。

苦しみたい

苦しみたい、いや、苦しんでいる所を人に見せたい、と言った方が正確かもしれない。

ただ、苦しみの原因が何でもいいかと言うとそうでもない。何か、高尚な原因によって苦しみたいのだ。

思うに、苦しむところを他人に見せたいとして、その願いを叶える一番分かりやすい(≠実現しやすい)方法が、病気にかかることだ。

ただ、病気で苦しむにしても、怠惰な生活をしていることが原因で罹った病気で苦しむならそれはダメである。本人は別に何もダメなことをしてないのに、運命のいたずらによって0.001%とかのとてつもなく低い確率を引き当ててしまって、体に病を宿す、これならOKだ。

 

戦いたい。戦っているところを人に見せたい。正しい側に立ちたい。正しい考えを持って、世間の偏見と戦いたい。ただ、勝ってはいけない。負けるのでなければならない。正しすぎるが故に負ける。そういう戦いをしたい。

 

高い能力を持っているけれども、それと引き換えに、日常生活を円滑に営むための基礎的な生活能力が欠如している人というのに憧れる。

ずば抜けて得意な事もあるけれども、多くの人にとっては何ともないことを、苦手にしていたり恐れたりする人間に憧れる。

 

何かを迷惑に思いたい。ただ、何でもいいわけでは当然ない。お隣さんがうるさいとか言うのではだめだ。

はたからみれば羨ましがられることを迷惑に思っている、そういうところを他人に見せたい。

 

自分が劣っていることが原因で苦しんでいるのは、ただ哀れなだけだ。自分が優れていることが原因で苦しみたい。

そういう心理状態に至るのはなぜだろうか。考えていても答えが出ない。ただ、思えば小学生のころから、ぼんやりと抱いていた感情の様に思う。

年を取りたくない

中公文庫日本の歴史シリーズ『江戸開府』を読み終えたので、次巻の『元禄時代』へ移った。

 

夕方には、先週注文しておいたメガネを受け取ってきた。で、それをかけたままパソコンに向かって記事を書いている。

今まで使っていたものよりも度数を下げたので、パソコンでの作業はしやすくなった。スマホも前より見やすい。本を開いて読んでみても、目にかかる負担は軽くなった気がする。

遠くは若干見えにくくはなったが、気になるほどではない。いずれ慣れるだろうと思えるレベル。

ブルーライトカット仕様には今回はしなかった。詳しいことは分からないのだが、効果がないとかツイッターで数年前に見た気がする。

 

年をとったらさらに視力が落ちるんだろうか。まあ、それは眼鏡を新しく作れば対応できるとして、目から入ってきた情報を脳が処理するスピードが落ちてくるのはどうしようもなくないか。

それで、文字を読むのが億劫になったり、文字が見えても言葉として入ってこなくなったりしたら怖い。しかも気付かない内にそうなっていきそうで怖い。もしかしたら今も少しずつ、そうなっていってる最中かもしれない。

そういう危機感に囚われるのは、やはりうちの両親を見ている時だ。うちの両親も、夕食中にテレビを見ているときに、どこかの観光地の映像が映った途端に「え、ここどこ!?」とか言う。画面の左上にどこの映像かちゃんとテロップが表示されていて、それを見ればすぐに分かるのに、だ。

まあ、それは、視覚情報を脳が処理するのが遅くなっているからというより、思ったことを口に出さずにはいられなくなってくるからなのかもしれない。

いずれにせよ、あまりカッコいいことではない。

 

連休最終日

今日は昨日から見始めた大河ドラマ3作品の続きを1話ずつ見た。

太平記」はスロースタートなんだろうか。脚本が同じ池端俊策さんだった「麒麟がくる」も織田信長が出てくるまでの数話はほぼ登場人物紹介のプロローグみたいな感じだったと感じたのを思い出します。それでも主人公の足利高氏と同じ目線に立つつもりでドラマを見ていくと楽しめます。北条も鎌倉も嫌い、今の世の中は醜い、こういう気持ちを持った高氏が、後醍醐天皇と出会ってどうなるのか……というのが楽しみです。

主人公が「美」を求めるというのも「麒麟」と共通なのかな。「麒麟」でも「美しい」という言葉が明智光秀ほか複数の登場人物の行動の指針になっていた。一般的に言われるような感覚的な美しさというより、観念的な意味での美しさを、人が目指してあるいは挫折する様が描かれたドラマだったと思います。

 

さて、今日はなにせ天気が悪く、低気圧の影響で体調もあまりよくなかった。午前と午後に1時間半ずつほどの昼寝をした。低気圧でなくても、最近は午前中にやたら眠くなるから困る。